不確実性の社会
社会は、それなりに理屈もあり、整合性もあり、予測可能性もありました。しかしコロナ禍ではそれがかなり失われました。ワクチン接種開始により、再度取り戻せるかと思いきや、インド株の出現でまだ出口がみつかりません。まさに不確実性の社会です。
ここまで揺さぶられると自社の商売について、コロナ禍の時代を受動的に受け入れざるを得ないと思いがちです。しかし筆者はふとBSE(牛海綿体脳症)、いわゆる狂牛病問題から、アメリカ産の牛肉の輸入が全面停止されたとき(2003年12月)の吉野家の対応を思い出しました。
当時の吉野家にしてみれば、まさに降ってわいた逆境であります。原料の供給がある日突然ゼロになってしまい、再開の見通しは立っていなかったわけですから。単品商売である「牛丼」の供給が不可能という、まさに絶体絶命な状況であったと思います。
しかし彼らは「いくら鮭丼」「カレー」など新メニューを1ヵ月以内に発表し、世に出しました。家庭で作る料理メニューではありません。何万食と提供する以上、食材調達から、セントラルキッチンの仕様などサプライチェーンを整え、店内のオペレーションも変え、食器、ポスターなど備品類を整えるなど周到な準備が必要なのに、です。まるで待ち構えていたようにさえ思える手際の良さとスピードでした。
かくして吉野家はそのほかの様々な企業努力の結果、輸入停止した初動こそ赤字になったものの次年度からはメインの牛丼なしでも黒字を計上しました。危機を一転、吉野家は牛丼一本足打法から脱却し、牛丼以外でも戦える企業風土を身に付けました。当時開発したメニューがすべて残っているわけではありませんが、豚丼、カレーなど牛丼以外のメニューが今でも定着しています。ちなみに牛丼が復活したのは2年10か月後の2006年9月です。
筆者はこれを思い出して、こんな時代でも、なんとか能動的に管理していこうと決意を新たにしています。
【参考文献 吉野家 生活情報センター 茂木信太郎著】
(文責:飯沼新吾)